お花見の由来とお花見団子の由来 桜を愛する心を子供にはどう伝える?




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ねがはくば

はなのもとにて

春死なむ

その如月の

望月のころ

西行法師が詠んだ有名な歌ですね。

幻想的で私も好きな歌です。

 

如月の望月は2月15日ですが太陽暦で3月の末にあたります。

この頃は山桜が満開を迎える時期です。

 

西行は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武士であり僧侶でもある歌人で、桜をこよなく愛する人でした。

 

古来より桜を愛する日本人ですが、いつの頃からお花見をするようになったのでしょうか?

 

今回はお花見の由来とお花見に欠かせないお花見団子の由来を調べてみましたよ!

 

お花見の起源は梅を見て詠んだ歌の会

 

 

お花見のルーツは奈良時代の貴族が花を見ながら詠んだ歌の会だとされています。

この時代の貴族たちが歌に詠んだ「花」とは「梅」のことを指しました。

 

中国原産の梅が遣唐使により日本にもたらされて以来、香り高い梅に貴族たちは夢中になったのです。

しかし空前の梅ブームの中でも日本原産の桜を日本人たちは、ないがしろにしていたわけではありません。

 

と、言うのも古来より桜は「サ(田の神)」の「クラ(座)」であり神が山から下りてきた証に桜が咲き誇るのだと信じ、神聖なものとして祭っていました。

 

信仰の対象であった桜が、人々に鑑賞されるようになるのは遣唐使が廃止されて以降の平安に入ってからです。

 

このころになると貴族たちは造園の際に桜を植えるようになります。

 

平安の貴族たちが歌会などで詠む「花」とは「桜」ことを指し貴族たちは桜の儚さに人生を重ねました。

花の色は

うつりにけりな

いたづらに

我が身世にふる

ながめせしまに

(小野小町)

 

武士たちに受け継がれる花見の文化

 

鎌倉以降になると武士階級や一部地域でもお花見が楽しまれるようになります。

 

安土桃山時代。

いわゆる戦国時代に武将たちの間でお花見が盛大に行われるようになります。

 

なかでも豊臣秀吉は花が大好きで桜の頃になると飲めや踊れの大宴会で「吉野の花見」「醍醐の花見」は有名です。

 

花見が大衆化したのは花が好きな徳川家のお陰

 

 

時は流れて江戸幕府が開幕します。

家康から続く植物好きの血が遺伝したのか八代将軍吉宗は、江戸一の花屋と言われた四代目伊兵衛に飛鳥山をはじめ江戸の町、さらには農村部に至るまで、様々な場所を花の名所にするように指示しました。

 

それがきっかけで様々なところに桜が植樹され、桜は庶民に親しまれるようになります。

 

そしてこの頃の若者は桜の頃には花見と称し、おしゃれして出かけ歌い、踊り、特技を披露するなどして盛り上がりました。

 

また、てんぷらや、すしなどの屋台も出て人々は花見にかこつけ酒を飲み、お弁当を食べました。

 

この江戸庶民の花見が現代の花見のルーツですね。

 

ちなみに、現在主流の桜「ソメイヨシノ」は幕末に染井村の植木屋が品種改良して作ったとされ、桜の名所吉野にあやかりソメイヨシノと名付けられました。

 

ソメイヨシノは、成長のスピードの速さと育てやすさから重宝され瞬く間に日本全土に広がっていきました。

散る桜

残る桜も

散る桜

(良寛)

 

お花見団子の由来は?

 

 

先ほどにも登場しました花好きで派手好きの豊臣秀吉は「醍醐の花見」で、全国各地から甘味を集め客にふるまいました。

 

そこで初めて登場したのが三色団子。

 

これまでの団子と言えば甘くなく、しょうゆなどをつけて食べるのが一般的でしたが、団子好きな秀吉が甘くて三色の「お花見団子」を考案させたのです。

 

以降、花見と言えば「三色団子(お花見団子)」が風習化していきます。

「花より団子」のことわざもこの頃できたものです。

 

ちなみに、お花見団子の三色には意味があります。

 

ピンク、白、緑の色はそれぞれ季節に対応していて

「ピンクは桜の色で春」

「白は雪の色で冬」

「緑はヨモギの色で夏」

を表しています。

 

秋に対応する色がなく「飽き(秋)が来ない」に通づることから団子屋からも好評で、さらに紅白のめでたさや、緑が邪気を払う色とされていることもあり、お祝いの席などにも重宝されました。

 

【お花見とお花見団子の由来】子供にどう伝える?

 

 

 

お花見の由来は私たちが桜を愛してきた歴史でもあります。

そんなお花見とお花見団子の由来を子供たちには、どのようにして伝えればいいのでしょうか?

 

子供の年齢にもよりますが分かりやす言葉で、簡略化しないと伝わりませんよね。

と、いうわけで今回も節分の由来の時と同様、お話を作ってみましたので参考にしてください!

 

【お花見とお花見団子のお話】

 

むかしむかし。

桜は神様が座る木でした。

だから桜はとても大事にされていたんです。

貴族っていう偉い人たちも最初は、いい匂いのする梅の花を見て歌を歌っていたんだけど、そのうちに桜の美しさに気づいて桜を見ながら歌を歌うようになったんだよ。

 

これが「お花見」の始まり。

それからずっと時間がたって、武将っていう人たちが戦って誰が一番か決めていた時代がきます。

 

この時代にもお花見があってね。

この時の豊臣秀吉っていう武将が桜と甘いものが大好きで、みんなを集めてお花見をするときに「ピンクと白と緑の三色団子」をみんなに配ったんだよ。

 

これが「お花見団子」の始まり。

 

武将たちの戦いが終わって平和な時代「江戸時代」が来ると、偉い人たちだけじゃなくてみんなもお花見をするようになったんだよ。

 

偉い殿様がね、みんなもお花見ができるように色んな所に桜を植えたから、みんながお花見ができるようになったんだよ。

 

まとめ

 

 

1 お花見の起源は梅を見て詠んだ歌の会
2 武士たちに受け継がれる花見の文化
3 花見が大衆化したのは花が好きな徳川家のお陰
4 お花見団子の由来は?
5 【お花見とお花見団子の由来】子供にどう伝える?

 

現代でも「桜」をモチーフにたくさんの名曲が生まれ、お花見の季節を待ち遠しくしている日本人。

お花見とお花見団子の由来を知ることで、お花見がもっと尊いものに感じられ、季節を楽しむきっかけになりますね。

お話は、幼稚園年長の我が家の次男に伝わるような言葉を選んで作ってみました。

 

いかがでしたでしょうか?

もっと年齢が上のお子さんにはもう少し詳しくお話してあげてもいいかもしれませんね。

 

最後に一句。

水ぬるむ

光のどけき

花の下

跳ねてじゃれ合う

すずめ3匹

(東風香)

ん~お粗末!デデンデンデンデン!(お囃子)

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東風花
お絵描きと創作が好きな、三兄弟の母です。 子供たちに鍛えられ、か弱い乙女も、いつしか立派な母ちゃんになっておりました。 子育てや日々の出来事をつづったイラストブログ「猫田さんちへようこそ」も書いておりますので、興味のある方もない方も、一度覗いてみてください。 当サイトでは、文章を書くお仕事に携われた事に喜びを感じながら、記事を書かせてもらっております。 読者の方の視線に立った記事が書けるよう、日々精進していきたいと思います。 ※イラストブログ【猫田さんちへようこそ】を運営。リンクは名前から✅




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