皆さんは十二支で方角と時刻が表せるって知っていましたか?
時刻は何となく「確かそんな話も聞いたような…」と感じますが方角まで表せると聞いた時は私もビックリしました。
何となく「草木も眠る丑三つ時」なんて言葉は耳にしたことがありますが実際の時間って曖昧ですよね。
そして調べていくうちに方角には「鬼門」というものがある。
そもそも「十二支」と「干支」が違うものであるということを知りますます驚きました。
今回はそんな「十二支の方角と時刻の表し方」「十二時辰はいつから使われたのか」
「十二支で表す方角の鬼門とは?」「十二支と干支の違い」を紹介していきます。
十二支の方角と時刻の表し方とは?
十二支での方角の示し方は画像にもある通り方角も時刻も十二分にされています。
方角は「北=子、東=兎、南=午、西=酉」と基準に「北北東=丑、東北東=虎」となっていきます。
では北東ならどういえばいいのか?
それは「丑と虎の間にある方角」なので昔の人は文字通り「丑虎(うしとら)の方角」と言っていたそうです。
そして時刻は十二時辰(じしん)と言い、24時間を十二分にしているため二時間に1度十二支が変わるようになっています。
「じゃあ間の1時等の十二支の間はなんていうの?」と疑問になりますよね。
実は時刻と時間は違いがあり、時刻とは『一点の時を指す』時間は『ある点からある点までの時の経過を指す』そうです。
詳しく例にすると時刻は『四時に家に着く』などの一点の時間を指す時に使い、時間は『会社から家まで40分で着く』と帰宅にかかる時間を指すそうです。
なので十二支の時刻とは一点のみを指し時間を言いたい時は「一つ時、二つ時、三つ時、四つ時」二時間を四つに区切ります。
例えば子の刻で言うのなら「子の一つ時=23時~23時半、子の二つ時=23時半~0時」と30分間隔で区切られているということです。
皆さんがよく耳にする『丑三つ時』とは丑の刻の三つ時、つまり『2時~2時半』のことを指しているということです。
ではいつから十二支で時刻を読むようになったのでしょうか?
次で詳しく解説していきましょう。
十二時辰はいつから使われたの?
十二時辰とはいつから使われるようになったのでしょうか?
元々、十二時辰とは中国が漢の時代(紀元前206~208年)の間から使われるようになったと言われています。
では日本はいつから使われるようになったのか気になりますよね?
実は日本の時刻の歴史はそこまで古くなく、初めて時刻が出来たのは671年となります。
671年と言えばちょうど飛鳥時代、天智天皇が日本で初めて時刻を見る漏刻を作ったとされています。
漏刻とは水時計のことであり、水の流れが一定であることを利用した時計となっています。
漏刻の歴史は鎌倉時代まで続き、次に使われたのは日時計となります。
日時計は現代でもたまに公園なんかで見かけるその名の通りお日様の高さを陰で見ることで時刻を知る時計のことです。
その後、室町時代後半から十二時辰が使われるようになったそうです。
言われてみれば時代劇なんかを見たときに「虎の刻」とか使われていますよね。
子供の頃はなんとことだかわからず見ていましたが十二時辰を知った今、また時代劇を見ると「何時に」と言ってるのが分かるのでまた面白いかもしれません。
では次は少し方角の雑学として「方角と鬼門」について紹介していきます。
十二支の方角に鬼門ってあるの?
日本には古くから鬼(幽霊)が入ってくる入り口が『鬼門』とされてきました。
十二支の方角で言うと鬼門は「北東」つまり「丑寅」とされています。
家を建てる時、その場所に水の流れる場所を作ってはいけないと家を建てたことがある人や風水に興味がある人なら聞いたことがあるのではないでしょうか?
それに対してまた『裏鬼門』というものもあり、これは「丑寅」の正反対とされている「未申(南西)」となります。
こちらは鬼の出入りを封じてしまう方角となるのでここにも水が流れる場所を作ってはいけないとされています。
そして調べているうちに面白い話を見つけました。
皆さんも知っている『桃太郎』これは実は方角にとても関連のあるお話しだったのです。
まず桃太郎が退治しにいく『鬼』、絵本なんかで見るとわかりますが『二本の角に虎柄のパンツ』です。
これは角を丑、虎柄のパンツを寅と示しており方角で言う「丑寅」となるのです。
それから桃太郎が連れている「犬、猿、キジ」のお供は方角とすると西の方角にいる「戌、申、酉」となり昔の人は西に極楽浄土があると信じていたことから極楽浄土から来た三匹をお供にしたとされています。
昔から慣れ親しんだ『桃太郎』にまさかこんなにも深い意味があったとは思いませんでした。
子供が少し大きくなった時その話を取り入れながら話すとまた違った面白みが出るかもしれませんね。
最後に十二支に関わる雑学をもう一つ…
『十二支』と『干支』とは実は違うものだと皆さん知っていましたか?
次はそんな『十二支と干支の違い』を紹介していきます。
十二支と干支に違いはあるの?!
先ほどからずっと「十二支」と書いていることに何人かの方は「なんで十二支?干支でもいいんじゃない?」と思われた方もいるでしょう。
でも実は『十二支』と『干支』は厳密に言えば違うものなのです。
そもそも『干支』とは正確には『十干十二支(じゅっかんじゅうにし)』と言います。
『十干』とは「甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)」の十個からなっています。
これは陰陽師で有名な五行説である「木、火、土、金、水」と「兄、弟」の意味をもつ「え、と」の二つを組み合わせたものとなります。
例を出すと「甲(きのえ)=木の兄」といった感じです。
そして文章を読んでいて気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが「兄、弟」は「え、と」と読まれこれが「干支(えと)」の由来とされています。
少し脱線しましたが、この十干と十二支を合わせたものが干支となるのです。
ただ十干と十二支は同じ数ではなく10個と12個なので必ずしも12年に一度同じ干支になるのではなく実は同じ干支になるのは60年に一度となるのです。
ちなみに今年の2018年は「戊戌(つちのえいぬ)」ですがまた「戊戌」が来るのは60年後の2078年となるということなんです。
まとめ
- 方角は十二分になり、北東などは「丑寅」と読む。時刻は24時間を十二分とし、30分刻みで読み方がある。
- 日本で十二時辰が使われたのは室町時代後半からである。
- 十二支で鬼門とは「丑寅(北東)」の位置になり、桃太郎は方角に深く関わっていた。
- 干支と十二支は違い、同じ干支が来るのは60年に一度である。
今回調べてみて私自身、知らないことばかりでかなり驚かされることばかりでした。
何となく知っていることもあれば詳しく調べるとなかなか面白くつい友人に雑学として披露してみたいと思うことも多々あり、「昔の人は良く考えてるな」と感心させられました。
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